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社会保険労務判例フォローアップ

令和元年9月5日

28.定額残業代の有効性が問題となった判例(日本ケミカル事件)

今回は、定額残業代の有効性が問題となった最高裁判例をご紹介します。一般に定額残業代が有効であると認められるための要件はやや厳しいという印象であり、本事例の原審(東京高裁)も厳しい態度で臨みましたが、最高裁では、一転して原審の判断を是認せず、その要件を緩和したような印象を与える判断をしました。

事例判決ではあるものの、定額残業代の有効性を判断する上での要件の考え方について、重要な意義を有する判例ですので、今回、ご紹介いたします。

事案の概要

Y社は、保険調剤薬局の運営を主たる業務とする株式会社である。
Xは、平成24年11月10日、Y社と期間の定めのない雇用契約を締結し、同年1月21日から平成26年3月31日に退職するまでの間、Y社の運営するa店で薬剤師として勤務した。
Xの就業時間は、週4日が午前9時から午後7時30分まで(午後1時から午後3時30分まで休憩時間)、週2日が午前9時から午後1時までであった。
Xの賃金(月額)は基本給が46万1500円、業務手当が10万1000円とされていた。
Y社におけるXの1か月当たりの平均所定労働時間は157.3時間であり、この間のXの時間外労働等の時間を1か月ごとにみると、全15回のうち30時間以上が3回、20時間未満が2回であり、その余の10回は20時間台であった
XとY社の雇用契約に係る契約書には、賃金について「月額562、500円(残業手当含む)」、「給与明細書表示(月額給与461、500円 業務手当101、000円)」との記載があった。
  また、採用条件確認書には、「月額給与461、500」、「業務手当101、000 みなし時間外手当」、「時間外勤務手当の取り扱い年収に見込み残業代を含む」、「時間外手当は、みなし残業時間を超えた場合はこの限りではない」との記載があった。
Y社の賃金規程には、「業務手当は、一賃金支払い期において時間外労働があったものとみなして、時間手当の代わりとして支給する。」との記載があった。
Y社とX以外の各従業員との間で作成された確認書には、業務手当月額として確定金額の記載があり、また、「業務手当は、固定時間外労働賃金(時間外労働30時間分)として毎月支給します。一賃金計算期間における時間外労働がその時間に満たない場合であっても全額支給します。」等の記載があった。
Y社は、タイムカードを用いて従業員の労働時間を管理していたが、タイムカードに打刻されるのは出勤時刻と退勤時刻のみであった。Xは、平成25年2月3日以降は、休憩時間に30分間業務に従事していたが、これについてはタイムカードによる管理がされていなかった。また、Y社がXに交付した毎月の給与支給明細書には、時間外労働時間や時給単価を記載する欄があったが、これらの欄はほぼ全ての月において空欄であった

上記の事実関係のもと、XがY社に対し、時間外労働、休日労働及び深夜労働に対する賃金並びに付加金の支払を求めたという事案です。

争点

本件の主な争点は、Y社の業務手当が、時間外労働に対する対価(定額残業代)として有効であるか否かです。

本判決の判断

原審(東京高裁)は、以下のように判断し、Xの請求を一部認めました。

(1)いわゆる定額残業代の仕組みは、定額以上の残業代の不払の原因となり、長時間労働による労働者の健康状態の悪化の要因ともなるのであって、安易にこれを認めることは、労働関係法令の趣旨を損なうこととなり適切でない。

定額残業代の支払を法定の時間外手当の全部又は一部の支払とみなすことができる場合は、①定額残業代を上回る金額の時間外手当が法律上発生した場合にその発生の事実を労働者が認識して直ちに支払を請求できる仕組み(発生していない場合には発生していないことを労働者が認識できる仕組み)が備わっており、②これらの仕組みが雇用主により誠実に実行されており、③基本給と定額残業代の金額のバランスが適切であり、④その他法定の時間外手当の不払や長時間労働による健康状態の悪化など労働者の福祉を損なう出来事の温床となる要因がない場合に限り認められる。

(2)本件において、Xは、業務手当の性質(業務手当が何時間分の時間外手当に当たるのか)が伝えられておらず、昼間の2時間半の休憩時間中の時間外労働の発生の有無を管理・調査する仕組みがないため、時間外労働の合計時間を測定することができず、また、Xに時間外労働の月間合計時間や時給単価が誠実に伝えられていないため、定額の業務手当(第1審被告が定額残業代であると主張するもの)を上回る金額の時間外手当が発生しているかどうかをXが認識することができないから、業務手当の支払を法定の時間外手当の全部又は一部の支払とみなすことはできない。

 

これに対して本判決は、以下のとおり判示しました。

(1)まず、時間外労働等に対して割増賃金の支払を義務付けている趣旨は、使用者に割増賃金を支払わせることによって、時間外労働等を抑制し、もって労働時間に関する労働基準法の規定を遵守させるとともに、労働者への補償を行うおうとする趣旨により、また、同法37条等に定められた方法により算出された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けることにとどまり、労働者に支払われる基本給や諸手当にあらかじめ含めることにより割増賃金を支払うという方法自体が直ちに同条に反するものではない、としました。

そして、雇用契約において、ある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、①雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、②使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、③労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきであるとし、当該手当の支払によって割増賃金の全部又は一部を支払ったものといえるために、原審が判示するような事情が認められることは必須ではないと判断しました。

(2)その上で、本件では、ⅰ)雇用契約に係る契約書及び採用条件確認書並びに上告人の賃金規程において、月々支払われる所定賃金のうち業務手当が時間外労働に対する対価として支払われる旨が記載されていたこと(事案の概要⑥⑦)、ⅱ)Y社とX以外の各従業員との間で作成された確認書にも、業務手当が時間外労働に対する対価として支払われる旨が記載されていたこと(事案の概要⑧)から、Y社の賃金体系においては、業務手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものと位置付けられていたということができるとしました。また、ⅲ)Y社に支払われた業務手当は、1か月当たりの平均所定労働時間(157.3時間)を基に算定すると、約28時間分の時間外労働に対する割増賃金に相当するものであり、Y社の実際の時間外労働等の状況と大きくかい離するものではないこと(事案の概要⑤)、を理由として、Xに支払われた業務手当は、時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていたと認められるとし、労働時間の管理状況(事案の概要⑨)等はその判断を妨げないとしました。

以上の理由から、原審の判断には割増賃金に関する法令の解釈適用を誤った違法があるとし、Xに支払われるべき賃金の額、付加金の支払を命ずることの当否及びその額等についてもう一度審理させるべく、原審に差し戻しました。

コメント

定額残業代の採用自体は違法ではないというのが判例・通説です。

定額残業代の有効性が問題となった事例としては、以前に当HPでもご紹介した、テックジャパン事件(平成24年3月8日最高裁判決、労務連載15参照)が有名です。この事案は、基本給に時間外手当が含まれているか否かが争点となった事件で、最高裁は、①時間外労働がされても基本給自体の金額が増額されることがない、②基本給の一部が他の部分と区別されて時間外の割増賃金とされていたなどの事情はうかがわれず、通常の労働事件の賃金にあたる部分と時間外の割増賃金にあたる部分とを判別することはできない、として、会社側の主張を認めませんでした。特に、②のように、通常の労働時間の賃金に該当する部分と、時間外労働等に対する割増賃金に該当する部分とが明確に区分されていることという要件は必ず備えておく必要があります。

今回ご紹介した本判決は、業務手当が基本給とは区別され、当該手当の全体が時間外労働等に対する割増賃金に該当するものとされていましたので、かかる要件自体は問題ありませんでしたが、基本給あるいは特定の手当の一部を時間外労働等に対する割増賃金とする場合には、定額残業代部分かそれ以外の賃金部分かを明確に区分しておくことが非常に重要です。例えば、単に、「○○手当には、時間外手当・休日手当・深夜手当が含まれる」としただけでは、定額残業代部分とその他の労働時間の賃金にあたる部分が明確に区別できているとは言えません。「○○手当のうち、○万円は、○時間分の残業代に相当する額の定額残業代として支払う」などとしておく必要があります。基本給の一部を定額残業代とする場合も同様です。なお、給与明細に表示しやすく従業員も区別がついていることを認識しやすいということと、比較的裁判所に認められやすい傾向にあるという点では、定額残業代に該当する部分を単体の手当として支払うことをお勧めします。

 

さて、本判決で一番の争点は、業務手当が時間外労働の対価であると認められるかどうかという点です。

よって、有期契約労働者に対する関係においても、年齢の上限を65歳未満に設定した条項の場合は、同法に反するとして無効になる可能性が高いといえますので、注意が必要です。

 

この点については、本判決は、①雇用契約にかかる契約書等の記載内容、②使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、③労働者の実際の労働時間等の勤務状況等の事情を考慮すべきとしています。

よって、①からは、雇用契約書や労働条件通知書、賃金規程等で、時間外労働等に対する割増賃金として位置づけられる部分を明確に記載しておくということが重要となります。また、②からは、当該手当等について労働者に対して具体的に十分説明しておくことも必要です。③からは、定額残業代に含まれる時間外労働時間数と、実際に行われる時間外労働時間数がかい離しないことも留意しておく必要があります。例えば、20時間分の時間外労働を前提に定額残業代を設定していながら、実際は、恒常的にこれを大幅に超える時間外労働が行われていた実態がある場合、時間外労働の対価であると認められにくくなる可能性がでてきますので、注意が必要です。

なお、本判決は、原審の判示するような厳しい要件に基づく事情が認められることは必須ではないとし、また、上記①~③の要件を総合的に判断していることから、例えば、書面の記載が不十分であっても、従業員に対する説明でカバーされる可能性もあり得ることになります。一般に、定額残業代の採用はややハードルが高いといわれる中で、本件の最高裁判決では、その有効性の要件は若干緩和されたような印象です。

但し、油断は禁物です。先のテックジャパン事件判決やその他の裁判例を見る限り、

定額残業代部分が、何時間分の残業代なのかを明らかにしておく

時間外労働が定額残業代に対応する残業時間を超えた場合は、別途割増賃金を支払うこと

の各要件は最低限必要であると考えておいた方が良いでしょう。

そして、労働契約法において、就業規則より悪い労働条件で労働契約を締結した場合、就業規則の記載が優先することになっている以上、

これらの事項をきちんと就業規則(賃金規程)で明確に規定しておくこと

も忘れないようにしましょう。

なお、以前の原稿でも触れましたが、新たに定額残業代を導入する場合、既存の従業員に対しては、時給単価が下がる等の影響があるため、就業規則の不利益変更に該当することに注意が必要です。就業規則の不利益変更については、変更後の就業規則の内容を従業員に周知させ、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況などに照らして合理的であれば有効であるとされていますが、立証の困難性等を考えると、従業員に対してきちんと説明した上で、定額残業代導入にあたっての同意書をとっておいた方が良いでしょう。その上で就業規則を改定し、従業員代表者の意見書を付けて労働基準監督署に提出するようにしましょう。

参考

平成29年(受)第842号 未払賃金請求上告事件

平成30年7月19日 最高裁第一小法廷判決

* 事案を分かりやすくするため一部事実を簡略化しています。

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